プログラマーの不要論はいつの時代も出る

プログラマーの不要論とは、簡単に組み立てる事が出来る姿が現れる事で、専門的な知識を不必要とする考えです。
IT現場では議論の対象となることが増えていますが、プログラマー不要論はあるけれど……。のように否定的な意見が大半です。

既にプログラムの世界では、ライブラリとして、組み立てられているプログラム群が存在しています。
現在のシステム開発でも、ライブラリを利用して組み立てる事が一般的です。
必要性や不要論を語るためには、プログラムの性質について知る必要性があります。

プログラムは、玩具で遊ぶブロックで例えられる事もあります。
例えば、玩具のブロックでタイヤを作れば、タイヤは様々な場所で転用する事が出来ます。
転用できる多くのパーツを作り上げておく事で、簡単に様々なシステム開発に役立てる事が出来ます。
この姿が極端化する事で、プログラマーの存在が不必要だと考える不要論を語る人が発する考え方です。

ただし、各々のパーツに対して、違った表現を行えにくいデメリットがあります。
これは、幼児が初めてブロック遊びを行う時に利用する様な、大きなブロックで遊ぶ姿です。

幼児でも簡単に扱えそうなシステム開発は、細かな特徴の無いシステム開発になりかねません。
デジタル技術が発展して行く中では、細かなシステム開発が行える、プログラマーの必要性は必ず生じます。

簡単に組み立てる事が出来るソフトを提供している会社も営利企業です。
毎年、様々な新しいアイディアの中で、市場にソフトを提供していかなければなりません。
その一貫性の中の、話題に過ぎないのです。

ただし、今まで時間を要していた内容に対して、簡単に行える様になった内容も少なからずあります。
そのため、簡単に行えないシステム開発の腕を磨き上げて行く事も大切です。